どうせ遠くを見ている

 
「え?は?えっと、どちら様?」

目の前の人は目を閉じたり開いたりこすってみたりと忙しかった。
何度も何度も繰り返し、ついに頬を抓りはじめた頃には、それは意味無いのでは、と思ったが本人はいたって真面目のようだ。頬を赤くして、擦った瞳は充血していて、

「僕だよ、僕!」
「あ、なんだお前か……って誰なんだよ!」
「わあノリがいい!」

とりあえず中に入っていい?部屋まで案内されてからずっとこの調子で、案内してくれた女性が怪訝な顔をしてこちらを見ていた。返事がないので構わず室内に入る。あ、だのえ、だの突然言語が退化しはじめた部屋の主を扉の前に置いたまま、客間の豪華なソファに腰をかけた。久しぶりに座る柔らかく弾力のある感触に思わず笑みが零れた。
「随分と良いところに泊まってるんだね。お陰で探すのには苦労しなかったけど。まあそもそも君は街一番の有名人になったようだから居場所なんてすぐにわかったけどね」
「…なあ、その声はもしかして」
恐る恐るこちらの様子を伺いながら向かいのソファに腰をかけた。
「あんたか?」
「うん。お久しぶりアリババくん。元気そうで安心した」
当然のように頷いてみせると、目をまんまるく見開いて凝視された。嘘だろう、本当に?珍獣を見るような目だ。それは少しばかり失礼である、とたしなめようとした途端に彼の肩がわなわなと震えだした。
「うん、じゃねーよ!!おっ前今までどこ行ってたんだよ!!!」
「病院にいました」
迷宮を出たら一人砂漠の上に放り出されていた。思いだしただけでもぞっとするほど重傷を負っていたわたしには自力でどうこうできる余力など残されている筈もなく、たまたま通りかかったキャラバンに保護されなければ今頃干からびて死んでいたかもしれない。
ところでお茶は出ないのかな?と冗談半分で言ってみれば「あ、悪い」と律儀に茶器を並べはじめたのでこういうところは人が良いなあと感心してみる。

「肋骨4本、左足折れてた。あと左腕も10針縫ったかな」
「おまっ!言ってたよりずっと悪いじゃねえか!何が肋骨2,3本だよ!」
「まぁ目測を誤ることくらいあるよね。どうりであちこち痛むわけだよね」
実際はもうちょっと大変な有様だったのだけど、全部伝えるとアリババくんの血管が破裂しそうだったので黙っておくことにした。我ながら良く生きていたものだとしみじみ思う。病院に運び込まれてから、生きているのが不思議なくらいの重傷だ、と驚愕され、絶対安静を言い渡された。それから数ヶ月、ようやく動き回れるまでに回復して真っ先に会いに来たのだから歓迎してくれてもいいのに。そう言うと、アリババくんはちょっと頬を赤くした。所在が直ぐに知れたのがアリババくんだったのだと言う事実は伏せておく。
「もう大丈夫なのか?快復早すぎねえ?」
「うん。ご覧の通りすっかり元気だよ。ねぇ、再会のハグする?」
「するかバカ!」

照れるな、少年!両手を広げて見せるとクッションが飛んできた。


「そういえばアラジンは?」
「それがわからないんだ。迷宮から出たときには一人だった。どうやら俺達バラバラに飛ばされたみたいだな」
「ふうん、そうなんだ。どうりでアリババくんは元気がないわけだね。アラジンがいないと寂しいよね」
「ば、ばっか!そういうんじゃねーよ!あ!そういや、つい先日はあいつが来たよ、お前の妹分の」
「うそ!モルジアナが?!元気そうだった?どうしてるって言ってた?」
ずっと病院に缶詰になっていたのでもちろんモルジアナの消息も知らない。噂ではアリババくんによって、モルジアナだけではなくチーシャンの全ての奴隷たちが解放されたと聞く。顔見知りの奴隷仲間達のことを思い出して胸が熱くなった。最後は気まずい別れ方をしてしまったけれど、仲良くなったあの男の子は自由になって母親とこの青空を眺めているだろうか。わたしが無事だということを伝えられればいいのに。最後に目が合った時、彼は連行されるわたしのことを心配してくれていたし、何も出来なかった己の無力さを悔いているようにも見えた。子供だから、大人のように割り切れないことも沢山ある。未来ある子供に負い目など感じて欲しくはなかった。
解放された奴隷達はどうなったのだろうか、その後のことを尋ねれば誰もが口を揃えて教えてくれた。彼らが奴隷ではなく、只一人の人間として生きていけるような基盤を作れるようアリババくんが働きかけているところだと教えられた。手にした財宝の殆どを彼らの未来に投資したのだという。ああ、本当にハグだけでは足りない。この気持をどのように現したら良いのだろう。わたし自身も身を以て体験したのだ。あれだけ命がけで手に入れた財宝を躊躇うことなく、見ず知らずの奴隷の為に使うだなんて、なかなか出来ることではない。
「ねえ全部聞いてるんだよ、アリババくんがわたし達奴隷を解放してくれたのでしょう?君はやっぱり凄いね、誰にも出来ないことをこんなにすんなりとやってのけるだなんて!そういえば一言お礼が言いたくて真っ先に飛んできたんだった!」
「お、おいちょっと落ち着けよ!」
前のめりになって鼻息の荒いわたしにアリババくんは顔を引きつらせた。しかし、これは他の奴隷だった人達の総意なのだからと言うと、ちょっと困ったように眉間に皺を寄せている。今を時めく英雄張本人である筈なのに、浮かない様子に首を傾げた。
「そういやあいつ、お前のことも心配してたよ。どこを探しても見つからないってさ。俺から聞くより直接本人に会いに行ってやれよ、今の滞在先の住所聞いてあるからさ」
「うん、本当にありがとう」
「なんだよ改まって」
アリババくんは照れを隠しながら乱暴に席を立つと、そのままバルコニーに出て行った。快晴の空は海のように青く、オアシスの上をずっと昔からたゆたう終わりのない深い海なのだと思ったことがある。チーシャンの空は今日も揺るがない海のようだった。アリババくんを追いかけて外に出ると、その下を行き交う人々の営みをぼんやりと眺める背中があった。明るい日差しを全身に浴びているのにその背中はどこか窮屈そうだった。彼はわたしが横に並ぶのを待ってぽつりと呟く。

「俺なんて実際大したことしてないよ。迷宮を攻略したのだってアラジンのお陰だし。そもそもアラジンがいなきゃ迷宮に行ってなかっただろうしな。全部、成り行きなんだよ。凄いのは俺じゃなくてアラジンだろ。礼を言われるような人間じゃないんだ」

そう言えばアラジンにも同じような事を言っていた。どうにも彼は何かに引け目を感じているらしい。大業を成し遂げた人物らしからぬ態度に思わず苦笑した。
「何を言うのかと思えばそんなこと」
そんなことって何だよ、と拗ねるように口を尖らせる。
「あのね、言っておくけど最初から大した人間なんていないよ。最初はみんな悩んで躓いて、模索しながら進んでいくんだよ。
もしアリババくん自身が何かに悩んでいてそういう風に思っているなら、それも確かに正しいのかもしれない。けど、わたしは他の誰でもない君が起こした行動の一つを評価して、感謝をする。成り行きだって君が選んだ道の一つの結果でしょう?アラジンが君の背中を押して、見事に結果を出して見せた。そしてアリババくんの起こした行動で救われた人が沢山いることも事実だよ。モルジアナもわたしも他の誰でもないアリババくんに助けられたんだ。事実は沢山の人の足下に根を張って希望の芽を出したよ」

奴隷から解放されたからと言って彼らの未来が無条件で明るくなったわけではない。そのレッテルはどこまでも付きまとうのだろう。今までは人権すら与えられず、望むことも出来なかった未来をどう選ぶかは結局のところ彼ら次第だけれども、それでもアリババくんはその切欠を与えてくれた。選ぶ未来があるだけで、人は生きていることを実感できる。希望を感じることができる。
そうして、あれ以来、張りつめた空気から解放されたように柔らかくなった街の様子を指した。無邪気な子供達の笑い声が風にのってわたし達の耳をくすぐっていく。音の残像が一段飛ばしで空へと駆けていく。そこに街を縛り続けた領主の姿はもうない。

「自分の歩いた道にこうやって跡が残るのって不思議な感じがしない?アリババくんが撒いた種を誰かが拾ってそこに君の足跡が残るの。でもね、芽がでた時にはもうそれは自分の手からは離れていて、せっせと水をやり肥料をやり育てた人のものになっているんだよ。いくらアリババくんが返してくれって言ってもそれはもう君のものではないから無理な話だよね」

アリババくんが撒いた種は何色の花を咲かせるのか見てみたいと思った。

「だからつまり、この『ありがとう』はわたしからアリババくんからもらった一方的な気持ちなのだから素直に受け取っていればよろしい。君の心の内なんて知ったことじゃありません。大体ね、こういう感謝の気持ちっていうのは他者から強要されたりどうこうできるものじゃない」

評価とは常に流動的なものだ。それこそ人の数だけ、未来の数だけ。自分の一方的なものさしだけで可能性の幅を狭めて欲しくはなかった。悩んだら、ちょっとだけ自分の歩いてきた自分の足跡を振り返ってみたっていい。ちゃんと皆見ているのだから。

「なんだそれ、偉そうだな」

そして明後日の方を向きながら照れくさそうに『どういたしまして』と言った。頬が柔らかく色付いている。
かつての英雄達もアリババくんみたいに沢山悩んだのだろうなと考えると、悩める少年の姿がほほえましく映る。
気が緩んだのか、照れを隠すためなのか、バルコニーの椅子にだらしなく腰かけてぼんやりと空を仰いだ。
ってほんと変わってるよな。今までに会ったことなタイプ。一緒にいると自分が悩んでるのが馬鹿らしくなるっつーか」
「それって褒め言葉」
わたしも彼に習うように隣に腰掛けて同じように空を眺める。いつの間にか自分の影が長く伸びていた。そろそろ夕食の良い香りが漂ってくる時間が迫ってきている。こんな穏やかな日は久しぶりだ。夕焼けの色をそっと撫でるように時間がゆっくりと感じられる。
昔、影踏みをして遊んだことをぼんやりと思い出す。泥だらけになって家路に着くと母が呆れた顔で出迎えてくれて、早く手を洗って着替えていらっしゃい、と言ったこと。大急ぎで仕度を済ませて戻ると、いつの間に帰宅したのか広くて大きな、座ると少し猫背気味の父の背中があった。振り返って、おかえりなさい、と優しい声で、大きな手の平で撫でてくれるところまでを想像する。手を伸ばせば届きそうで、全部この影から再び現れてくるのではないかと錯覚して何度か瞬きを繰り返した。隣のアリババくんの影がぐっと伸びた。大きな伸びをしたのだ。ふ、と笑いが零れる。今、手の届くところにいるのは懐かしい両親ではなく、この少年なのだ。
「なんかさぁ、俺達会ってまだ数日っていうか時間でいうと1日にも満たないっていうのに、なんでこんな緩いんだよ、おかしいだろ普通。全然初対面って気もしねーし」
「わたしの懐が広いのかな」
「自分で言うな」
悩める少年のこころを優しく包みこむよ、と言えばこれ以上ないくらい嫌そうな顔で小突かれた。
「いった、これでも病み上がりですよ!…まああれだよね、年の功。アリババくん青い青い」
「…そんなこと言うけどさ、っていくつなんだ?」

「え?」
「え?」

タマゴが先かニワトリが先か、思わぬ質問に首を傾げる。
「いや聞いてるの俺なんだけど」
「うん」
「いやいやだからうんじゃなくて」
頭の中で卵が割れて、そこからヒヨコが顔を出した。黄色いヒヨコだ。大きくなると真っ白なニワトリになる。
別に隠しているわけじゃないけど、まさか聞かれるとも思っていなかったと伝えれば微妙な反応が返ってきた。
「別に深い意味はないんだけどさ!が年の功とか言うからだよ。俺と同じくらいだとは思ってたけどな」

「え?」
「え?」

喜ぶべきなのか落ち込むべきなのか。隠すつもりもなかったのにとても言い辛くなった。気まずくなったわたしは手近にあったアリババくんの両頬をぐいっと抓る。殻から出てきたヒヨコは頭はヒヨコなのに体がニワトリだった。ヒヨコでもあり、ニワトリでもある。
「へ?ちょ、いて!…んだよ俺なんか変なこと言った?」
「女の子に歳聞くのは失礼だと思います」
頬に伸びた手を振り払い、わたしの暴挙が届かないところまで避難すると、首を傾げながら改めてわたしの旋毛から足先までじっと観察し始める。とても不躾である。
「女の子ねぇ…つーかさ、ずっと聞きたかったんだけどさ」
言うや否やびしりと指を突き付けられて、うわあ、とのけぞった。そんなわたしを気にもとめずにアリババくんはじりじりと距離を縮めてきた。絶対に逃がしはしないという気迫にわたしはじりじりと後退する。形勢逆転だ。治りたての肋骨が悲鳴を上げているから勘弁してほしい。

「なんだよその格好」

「え?流石に血濡れた奴隷服のままっていうのも怖い話だよ。それくらいの自覚はある」
キャラバンの親切な人達は最初にわたしを見つけたとき、死体だと思ったと言った。死体であるはずのわたしが動いた瞬間、数人の人達は腰を抜かしたとも言った。そもそもあの時は他人の血も浴びていたので間違われるのも無理のないことだと思ったけれど、それは凄い有り様だったのだと今では笑い話になっている。

「だーーもう!そういう意味じゃなくって、なんで男の格好してるんだって聞いてるんだよ!」

ああ、そう言えば、と今の自分の格好を見下ろしてみる。暑い砂漠都市に適した通気性の良い白を基調とした民族衣装である。まだ完全に癒えない傷跡を隠すようにゆったりとした生地で首から足先まで全身を包む。少々暑苦しい外見だけどその下はミイラのように包帯に包まれているだなんて誰も想像しないだろう。足首の枷はもうない。
「違和感ある?」
「全くない。ないから怖い」
動き安くて気に入っているそれは、アリババくんのものに良く酷似していて――彼よりも暑苦しく、数倍やぽったい風ではあるが、世間一般でいう男物の衣装だった。
自分でいうのも何だが、どこに出しても恥ずかしくない少年面である。
「よかった!どこか変なのかと思ったよ。旅してる時はずっとこれで通してたから自分でも違和感ないっていうか、疑われたこともなかったし」
「根本からおかしいだろ!俺には違和感しかねーよ!」
「女の子の一人旅って物騒だからね、男子のほうが何かと便利だし」
すっかり板に着いた男装に不備がないかどうかくるりと回って確認をとる。なんかもう、びっくりするくらいお前は少年だよ、と真顔で返答が返ってきた。
身長は女性の平均よりやや低いくらいで、声だって少し低めに意識をして話せば変声期前の少年のよう。本当に、これで一度も疑われたことがなかった。今回チーシャンで奴隷として捕まってしまった時には、無理矢理身ぐるみを剥がされて暴かれてしまったが、これはカウントには入れないものとして。
「ずっと男装してるのか?」
「うん。旅をはじめてもう10年はこの格好なんだよね。最近じゃもう女性用のスカートを穿く方が違和感あってさぁ」
「……は本当にそれでいいのかよ」
どっと疲れた声だった。
一人旅を初めて数年もしない間にはすっかり世界の事情を飲み込んで、自衛の術のない女の一人旅がどれだけ危険なものであるかを思い知った。その間に数え切れない程命に関わるような危険な目に遭った。少年の格好をして、使えもしない武器をお飾りにでも持ち歩けば、危険はぐんと減ったし、昔のようにおどおどではなく、胸を張って堂々と歩いて見せれば、ゴロツキに絡まれる回数も減った。旅をするために、わたしは変わらなければ生きていけなかったのだ。
今回のようにお嫁に行けなくなるような深手を負っても傷跡は全てこの服の下に隠してきた。女性らしい骨格も体型も全部このやぼったい衣装で覆ってきた。偽りが現実にすり替わりはじめた頃には隠し事が膨らみ過ぎて後戻りができなくなっていた。アリババくんの問いはもう寝言のようにわたしには現実でなくなっていた。だから今更なにか不都合なんてあるわけがない。

「うん」

難しい顔をしたアリババくんはやっぱり難しいことを考えているのだろう。しばらくうなり続けていて、彼は何に対しても一生懸命なのだな、と感心する。
顔はヒヨコのくせにニワトリが卵をぽこん、と産んだ。その卵でふわふわのオムライスが食べたいと思った。わたしの歳はもはや重要ではない。例え体が年齢に追いつけなくなっても、わたしの費やしてきた年月は変わらない。それだけは変わらない。

「んー…、お前がいいならいいけどさ」

結局答えを出すのは諦めたらしい。物言いたげな視線が突き刺さった。
「まーね。ところでアリババくんはこれからどうするの?」
あれから随分と時間が経ち、わたしが入院している間にこの街にもアリババくんにも沢山の変化があった。
「最初はこのままアラジンを待とうって思ったけど、やめた。
……俺さ、故郷にやり残したことがあるんだ。ケジメつけなきゃいけねーことがあるからさ」
とても真剣な表情は遠くの故郷を見据えている。迷いはなく、決断をした横顔。彼は運命を背負う人だ。わたしはどうやらこの手の業を背負った人間と縁があるのだと思う。
「もうチーシャンで俺のやりたいこともねーしな!ずっとここでダラダラしてたらアラジンに一喝されそうだしさ。再会する前に故郷帰って、今の俺が出来る精一杯のことしてみるよ。
しっかしあいつ今頃どこで何してんだろ」
「アラジンがどこで何をしてても、君たちはきっとまた出会えるよ。だってそういう運命だし」

え?とアリババくんが振り返った。

「空はどこまでも繋がっているから、必ずまた会えるよ」

沈みかけた太陽の向こう側でアラジンも同じ夕日を眺めているかもしれない。そうやって世界は繋がっている。
やがて、自分自身に納得させるように深く頷いた。

「そうだな」
「そうだよ」

沈んだ太陽だって、次の朝にはまた何食わぬ顔して昇ってくる。月は昼も夜もずっと姿を変えずにわたし達を見下ろしている。アラジンはきっと、アリババくんの元を目指すだろう。
「じゃあわたしもさっさとモルジアナと再会して約束を果たそうかな」
沢山約束したこと、綺麗で幸せなものを沢山見ようって笑い合ったことを。
アリババくんは何かを言いたそうに口ごもり、悩んだ末に「そっか」と残念そうに言った。我ながら卑怯だなぁと思ったので左耳に嵌った耳飾りに手を伸ばした。

「これあげる」
「え?」
「わたしの守石。生まれ故郷ではね、持ち主の身を守ってくれるって言われてる貴重な石だよ。寂しがり屋で無茶ばっかりするアリババくんにぴったりだよね」

アリババくんの手の平に乗せたのは小ぶりの石だった。燃えるように紅い石と丁寧に紋様の施された上品な細工が気に入っている。とても高価な品で庶民のわたしには不釣り合いだと思っていたけど、小さい頃から身につけている間にすっかりわたしの耳に馴染んでいた。命の次に大事にしていたこともあった、大切な守石だ。
「まがい物じゃないから安心して。これでも何十年もご利益あったんだから。ここ数ヶ月は…あれだけど」
精巧に刻まれた紋様を指でなぞる。ずっと長い事その意味を知ろうとしたことはなかった。守護の呪が込められているという。
「貰えねーよ!だってこれ大切なものなんだろ?」
石には持ち主の想いが篭もるという。
「これからはわたしよりアリババくんの方が必要になると思う。それにほら」
右耳を見せると、そこには対の石が光っていた。
「ご利益も半分ずつ!ね、つけてつけて」
渋るアリババくんに半ば無理矢理付けさせると金色の髪に良く映えた。夕日に照らされて光るその色は、迷宮で見た真っ赤な炎によく似ている。
「うん、やっぱり君には紅が良く似合うね」
「や、つーか、これって」
「お揃い!」
ぼっと少年の耳が石のように真っ赤になった。そんな様子を笑いながら眺めて、目を細めた。長い間わたしを見守っていてくれた石が無くなった自分のの左耳がほんの少し心許ない。
「な、な、な!!」
「大事なものだから大事にしてよね」
途端に口を噤んだアリババくんは暫くわたしの右耳を眺め、恐る恐る自分の左耳に嵌った石に触れる。
「…ほんとにいいのか?」
「うん。アリババくんに星の導きがありますように」
君に少しでも自信がつくように背中を押してあげる。
わたしの言葉にくしゃりと笑った。

「ありがとな」

そうしてしばらくわたし達は無言で沈んでいく夕日を眺めていた。ぼんやりと思考を停止してみる地平線はどこまでも遠くに続いていて、追いつけそうにも、追いつかれそうにもなかった。届かないと知りながら、望んでしまう矛盾した気持ちは何年経っても褪せることも、乾くことはない。
ふと視線を感じて横を見るとアリババくんと視線が合う。

「……なあって」
「そうだ、この姿のときはって呼んでくれるかな」
…」
「なあに」

「あんたの髪って白髪だったんだな」

アリババくんと会ったときは髪まで血に濡れていたし、元々泥だらけの姿だったしね。綺麗に身を清めた今、元の色に戻った髪と肌の色は目の前の人にはどのように映っているのだろうか。目を瞬いたわたしに慌てて「いや、別に変な意味で言ったんじゃなくて」と弁解する姿が必死だったので笑いがこぼれた。自分が笑われたことに憮然とした表情を見て、さらに笑いが込み上げてきたのでビンタが飛んでくるまでそれは続いた。
ようやく発作も収まる頃、強い風が吹いて自分の視界が白で遮られた。そろそろ夕焼け色に染まりつつある自分の髪を一房掴んで風に流した。

「まあね、お婆ちゃんみたいでしょう?」

あ、この姿の時はお爺ちゃんだ。

そのうちどれが本当の自分かわからなくなる。
遠くを見ていれば足下の自分のことなんて気にならなくなる。
ずっとずっと遠くまで照らす夕焼けの残像を目を細めて眺めた。


2013.02.17. up.


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