色の違う世界を見つけたの




「うわあ、見て!見たことのない魚がいっぱい売っているよ!」

やっとのことでバルバッドにたどり着くと、アラジンの好奇心はみるみるうちに溢れ出し、初めて見る港町をくるくると回るように軽快なステップであっちへこっちへと歩き回る様は、蜜を求めて花畑を飛び回るミツバチのように愛くるしいのだけど、見守る側は目が回りそうだ。モルジアナもアラジンの後ろでそわそわと落ち着かない様子で、視線をあちこちに彷徨わせては通行人にぶつかりそうになるのでこちらも気が気でない。
さん、あの赤い果物はなんですか?」
「あれはピタヤだよ」
「ではあれは?」
「あー、えっと、あれはねぇ…」
「ピタンガだな。柔らかい酸味と程よい甘味が女性に人気の果物だよ」
「そ、そうそう…」
「せっかくだから食べてみるかい?俺が――
「あなたお金持ってないでしょうが」
「あ」
潮の香りと、食材、スパイス、様々な匂いの入り交じった市場は独特の空気を醸し出しており、小さな二人の興味は尽きない。海に映える白を基調とした街並みは長い旅路で疲労した心を軽くさせた。街に足を踏み入れた途端に次々と浴びせられる質問に少したじろきながら、わたしが答えに窮すると、意外に博識なシンが補足付きの見事な回答をするので、アラジンなどはあっという間にシンに懐いている。そんな様子をわたしは複雑な心境で眺めた。シンは悪い人間ではないと思う。そして人を見た目で判断するのはよくない。よくないとわかっているのだけど
「二人とも、観光は後にしてまず先にこの人どうにかしよう。なんかもう」
居たたまれないのはわたしだけ?二人はシンの格好を見て我に返ると視線を泳がせた。
「あー、おじさんがあまりにも堂々と歩いているからすっかり忘れていたよ」
これだけの視覚の暴力を忘れる程の二人の好奇心には脱帽である。うっすら頬を染めるモルジアナの視線の先にいる渦中の人物は一人とぼけた顔で首を傾げている。当の本人は堂々としていてわたしばかりが落ち着かないのはどういうわけだ。小さなアラジンの服を窮屈そうに、恥ずかし気もなく平然と着こなす立派な成人男性の心理が分からない。そもそもあれは着こなせているのか。さっきから一緒に歩いていて痛い目でみられるのは主にわたしなのだ。周囲の目にはわたしがそういう痛い趣味でこんな格好をさせているように映っているらしい。全力で他人の振りをしたい。出来るなら話しかけないで欲しい。
こちらの心労にはちっとも気付いていないシンは、わたしの冷たい視線にようやく不穏な空気を感じ取り
「そうだな、君たちには申し訳ないが、先に俺の連れと合流しよう。礼はそれからさせてくれ」
と言い、わたしは当然であると大きく頷いた。慰謝料を請求する!



「王政打破?」
本来は真っ白な壁に大きく殴り書きされた文字を見て、この国に入ってからの違和感の正体が脳裏を掠めていく。表向きは海上貿易の拠点としての体裁を保っているようで、どこか余所余所しい街並み。道中で見たバルバッドに近づくにつれて荒廃していく町々。賑わう通りから少しだけ視点を変えてみれば、あちこちで見えてくる綻びに、この国の抱えている問題がじわじわと浮き彫りになっていく。前に訪れた時はここまで浮浪者は多くなかった。
「ここは代々、サルージャ一族という王族が治めて盛り立ててきた国なのだよ。だが、先王が亡くなられてからは国が乱れているようだ」
アラジンの疑問に答えたシンはバルバッドの現状を把握しているのだろう。淡々と事実を述べる声音からは心情を読み取ることは出来なかったけれど、何か目的を持ってこんな状態のバルバッドに来たのは確かだった。時々ちらりと見せる剣呑な眼光に気付かないふりをしている。不自然の正体を知って巻き込まれるのは困るから。これ以上ペースを崩されたら築き上げてきた均衡が崩れてしまいそうで恐ろしい。
ああ、でも。アラジンはマギだから。彼がこのタイミングでこの国に来たのは確かに意味のあることで、世界の意思なのだとしたら。運命に抗う術を知らないわたしなんかがひとたび引きずり込まれれば、瞬きをする間もなく粉々になってしまうのだろう大きな宿命を背負ったマギとは、一体どれほどの重みがあるのだろう。わたしは誰にも気付かれないようにそっとため息を吐いた。
純潔や純真の象徴でもある白は一度染まってしまうと二度と取り戻すことはできない。たった一点の染みはあっというまに浸食していき、全てを飲み込むまでその勢いは衰えない。くすんだ色は正常な心まで蝕み、やがて爆ぜるのを静かに待ち続ける。街の片隅にじっとりと佇む壁はこの国の縮図のようだった。
「難しい顔をしてどうした?」
太陽の下を雲が渡り頭上が陰った。わたしはゆっくりと顔を上げて隣の男を見た。
「革命の芽が出た国には大抵物騒な風潮はつきものだけど、こうして目に見えた現実を突き付けられると気分の良いものではないですね。シンは現国王を知っている?」
「良い評判は聞かないな」
「でしょうね。王が腐れば国も傾く。国を治めるのが王なら国を滅ぼすのもまた王ですから。皮肉なものだな。たった一人の采配がこんなに沢山の人間の人生を狂わせる」
一瞬の間の後、シンはやんわりとわたしの肩を押した。なんとなくだけど、彼の瞳が揺らいでいるような気がした。
「……君が憂う気持ちも良く分かるがね、ここで頭を悩ませてもしょうがないだろう」
もう一度見上げると、もう元のシンだった。
「頭ではわかっているんですけどね、僕がいくら考えたところで答えを正確に導くことができないことくらい」
「君は正解を求めているのかい?」
「正解というより答えが欲しいのかな、不正解だったとしても明確な答えが欲しいと思うことがあります」
促されるがままに歩くとあっという間に壁からは遠ざかり、ただし一度気にし始めると次々と綻びばかりが目に付くのはどういうわけか。薄暗い裏路地を骨と皮で出来た人形のような子供が朦朧と歩く姿を見つけると、肩におかれた手の力が僅かに強まった。大した力ではないのに骨が軋んでいるようだった。まるでわたしが今すぐにでも駆け出したい衝動に駆られているのを見通しているように、彼の言葉と手は現実を足下に縫い留めてきた。わたしの足が違う方向へ踏み出さないように、逃げ出さないように周到に管理されている気にすらさせるのはきっと自分の思いこみなのだろうけど。
「人の上に立つということは推測れやしない重責を伴うものなのだ。それを見誤ってしまうと…こういうことになる」
感情を押し殺したような、先程より幾分か人間味ある独白を捉えたのはわたしだけだった。その時シンはこちらを見ていなかったのでやはり独白だったのだろう。
「立場と責任の重みは比例しますから。釣り合わない天秤が崩れるのは当たり前でしょう」
「耳が痛いな」
ふ、と吐息が漏れて直ぐに肩の重みが離れていくと、太陽が再び雲の影から顔を現した。眩しさに目を細めると雲の端に数匹の渡り鳥を見た。太陽を隠す雲を切り取ってあの汚された壁に貼り付けるのはどうだろうか。きっとその部分だけ際だって目立つからどうせ駄目なのだろうな。
再び大通りに出ても尚、随所の暗澹とした空気に表情を曇らせているアラジンとモルジアナに、シンは朗らかに声をかけた。
「街の様子が心配かい?このような様子では無理もない話だが」
そしてやたらと絢爛豪華な建物の前で立ち止まると満面の笑みで両手を広げた。

「でも、ここなら安全だよ、俺もいつも泊まっている国一番の高級ホテル!」
「え」

わたしの目は点になった。
そして財布の心配をするアラジン達に向かって高らかに宣言する。
「宿代は俺が出そう。助けて貰った礼だ。好きなだけ泊まっていくといい」
「え?」
その格好のままで堂々とホテル内に侵入したシンが当然のように取り押さえられるのを見た瞬間にそれは白い目に変わった。誰がなんと言おうと侵入という言葉がしっくりきた。
かみ合わない押し問答は、出迎えた部下らしき二人の男性達が取りなして事なきを得たが、この人を見ていると裸の王様という話を思い出す。いや、シンの場合は自分が裸同然の格好をしていることを自覚しているから、ああ、つまりどういうことなのだろう。ただの露出狂か。とても頭が痛い。
「あの、シン、申し訳ないけどそこまでしてもらう訳にはいきません」
良い笑顔を残して去っていこうとするシンを呼び止める。
まともな金銭感覚を持っていればこのホテルがどれほど高級であるかなんて一目瞭然だった。わたし達がした事と言えば、お茶の一杯でもご馳走してもらえば事足りる程度のものだ。精神的苦痛を考えたら夕食を付けて欲しいところだけど。どう考えてもここまでしてもらう程のことではないのは明らかで、これではお釣りを支払わなければならないではないか。辞退の意を伝えると何故か笑われた。
「君はまったく不器用な人だな。お礼なんてものは俺の気持ちなのだから気にすることはないよ。そもそも君たちに対してどれくらいの謝礼と敬意を尽くすかは俺が決めることだろう?だから君は素直に頷いていればいい。この子達のようにね」
横を見れば豪華なホテルに既に心を奪われた二人がいた。二人にしてみればこんな場所は初体験になるのだろう。旅をしている間は野宿やキャンプは当たり前で、贅沢とは無縁だった。そんな目をされると自分の懐事情が申し訳なくなってくる。
「君にとっては道ばたの石ころを拾うような些細な事だったとしても、俺にしてみれば感謝し尽くせない気持ちをこうして確かな形で示したいのだ」
「石…いや流石にそこまで思ってないですけど、ていうかあからさまに話を誇張するのやめてほしいです」
「そういう目をしていた気がしたんだ」
そこだけ確信を込めて強く言われ、反論に口を開きかけたところでアラジンの乾いた視線を感じて言葉に詰まった。
「アラジン?」
「僕、おじさんの言ってること否定できないや」
「モルジアナ…?」
モルジアナがこくりと頷いた。ほらみろとシンの得意顔が苛立たしい。別に胸を張るところではない。
微妙に雲行きが怪しくなってきた所でシンの部下の一人が痺れを切らして前に出てきた。
「どうやら主人が随分と迷惑をかけたようですから、これくらいお気になさらず、お好きなだけ滞在なさって頂いて結構ですよ」
にっこりと笑って言われたが、一刻も早く主人のはしたない格好をどうにかしたい様子だった。苦労人のようである。
これくらいって!絶句するわたしと、おじさんってお金持ちなんだねぇ、と感心するアラジン。気にするなと言われても庶民には気になるのだからしょうがない。
「君は少し気にしすぎなのだよ。もしどうしても気になるというのなら、そうだな、後で君の時間を俺にくれないか?君とはもっと話をしてみたい」
「はあ?」
何でそうなるの?シンの突拍子もない発言と、部下の人のこれ以上は有無を言わせない笑みに結局押し切られる形で宿泊先が決まってしまったのだった。





滅多に体験できない豪華な部屋は想像以上に落ち着かず、休憩もそこそこに飛び出して来たのは、先程のバルバッド全体を見渡せる丘の上だった。
「…という訳で、シンのご厚意に甘えることになったんだけどね」
一番見晴らしの良い位置にわたしはマリカに寄りかかるように腰を下ろした。海と街を一辺に見渡せるこの場所を彼も気に入ったらしく、微かな潮の香りに鼻をひくつかせて、微睡むマリカの後ろ首をゆっくり撫でる。顔を寄せると獣臭に混じった太陽の香りが心を落ち着かせてくれる。
「街に着いたら直ぐに別れるつもりだったんだけどなあ。先手を打たれたというか、アラジン達が絆されてしまったというか、兎に角得体の知れない人だよね」
素っ裸で現れたかと思えば国一番の高級ホテルに出入りするほどのお金持ち。部下の人達も質の良い服を身に纏い、素人目から見ても明らかに異才を放っていた。何よりもシンの一挙一動が恐ろしい。取って食われるわけでもないのに、何かを探ってくるような視線を浴びせられると落ち着かなかった。そんなに危険人物に映るのだろうか。何を探ろうとしているのかわからないが、探ったところで有益なものなど出てきやしないのに。そもそも目立つのは本意ではない、気を付けなければいけないと気を引き締めていても、シンにはペースを乱されてばかりだった。
「マリカも一緒に来れたら心強いのに…」
ぎゅっと首筋に抱きつくと長い尻尾で腰辺りを柔らかく何度も叩かれた。頑張れ、と背を押してくれる時のこの仕草が愛おしい。そのまま顔を埋めて波打つ呼吸の音を聴いた。
「本当は、モルジアナの故郷の件がなかったら海なんてもう見ないと思ってた。雨の降る所だって来たくなんかないよ。でもこれは運命だよね。彼らとの出会いが逃げてばかりのわたしに切欠をくれたんだ」
そうだよね、そうなのかな、弱々しく声を落とすと、マリカは視線だけこちらに向けて僅かに鼻を鳴らした。彼は何も言わないが、わたしの心の一番近いところにいるのだと思う。強くて賢いマリカにはいつも助けられてきた。砂漠オオカミが砂漠を離れるなんて聞いたことがないけど、こうして何も言わずに当然のようにわたしに付いてきてくれた。ねえ、君は砂漠を離れてしまったらどうなるの?心地よさそうに艶やかな毛を潮風にそよがせる物言わぬ大切な家族はいつもこうして寄り添ってくれる。何も変わらない。自分よりも高くて温かい体温を感じる度に、まだ歩いて良いのだと実感させてくれる。
「ああ、マリカが話せたら的確な意見をくれるんだろうなあ」
「いや普通に無理だろ」
「わかってるよ、これは例え話。話せなくたって以心伝心なら問題ない――
あれ?目の前の大きな瞳と、瞬きを忘れて見つめ合った。
「マリカ、貴方話せたの?」
「お前はバカなの?」
「マリカって口が悪い」
「違えよ、上みろよ」
言われた通りに視線を上げると同時にマリカが立ち上がり、わたしの前に躍り出ると警戒心を剥き出しに低く轟く呻り声を上げた。大きなその背中越しに視界に入ってきたのは
「え、だれ?」

見たことのない知らない少年が、空に浮いていた。浮いている、何もない空に。

「わーこわいこわい、そのでっけえ犬お前の?」
緊張感のない声にマリカの毛が益々逆立った。
「…犬じゃないし。ていうかいつの間に?!誰っ?!」
「あ?うるせえなあ、バカでうるさいやつ見てると殺したくなるなあ」
状況が読めないけれど、殺すと言われたのでわたしは大人しく黙った。
「さっきまで死にたそうな顔してたくせに殺すって言ったら黙るのかよ、変なやつだな」
変なのは初対面で空に浮いてて、いきなり物騒な発言を降らせたそっちの方だ。
大体にして殺意の動機が理不尽過ぎるし、人ってどうやったら空中に受けるのだろうだなんて漠然とした疑問が沸いてくるしで頭の中が空回りしている。ぽかんと口を開けながら、わたしの分まで警戒心を剥き出しにしているマリカがとても大きく見えた。
「威勢がいいやつは嫌いじゃねえけど、生憎と俺は強い奴にしか興味がねえんだ」
そう言って燃えるように真っ赤な瞳を笑わせて、軽やかに地面に降り立った。噛み付かんばかりに威嚇するマリカを物ともせずに歩み寄ってくる姿をただ呆然と見上げていた。見た目は普通の少年なのに、存在全てが普通じゃない、例えようのないプレッシャーが全身を駆けめぐり卒倒しそうだった。
「変なモンがいるなぁと思って来てみれば」
あっという間に目の前まで来ると、わたしの全身を上から下まで眺め、腰を抜かしたわたしの目線の位置まで屈み込むと、じっと顔を覗き込んできた。物騒なことを言う癖に至近距離から見る瞳は子供のように純粋で、だからこそ底の知れない輝きを放っていて、うっかり目を離すとどうなってしまうのか。困惑に揺れることすら憚られた。
ふうん、と熱心に見てきたくせに興味の薄い態度を押さえることもなく、そのままの体勢で器用に頬杖をついて言った。

「お前なんなの?生きてんの?死んでんの?」

「生きてるに決まってるでしょう」
未だかつてこんな失礼な質問をぶつけられたことがなかった。そうだよなあ、と少年も首を傾げたので、わたしはとても複雑な気持ちになって顔をしかめた。何を言ってるんだ、と返そうにも言い出した当人が不思議そうにしている。
「だってお前ちっとも存在感がねえんだもん。普通生きてるモンなら少しくらいは感じられるオーラがまったくねえんだよな。おかしくね?なあ生きてんの?」
つんつんと頬を突かれる。あれ、生きてるよなあ?確かめるように頭を叩かれて、おかしいよなあ?何度か繰り返してしきりに首を傾げていた。
「あの、痛い」
「やっぱ生きてんじゃねえか」
「だからそうだって言ってるでしょ、あーもうやめ!」
好き勝手に動き回る手を払いのけると怒った?弱い癖に、とケラケラ笑われた。そんな不躾な態度に憮然となるのは当然だと思う。自分が生きているかどうかなんて悩む人なんていないだろうし、そもそも他人に向かってそんな意味不明な疑問を投げつけるのはどうだろう。そんなものはキャッチする以前にたたき落としてやる。しかし、悪意からではなく純粋な疑問として問われればどうして良いか分からず、行き場のない憤りから唇を尖らせた。
「君はなんなの、突然現れて突然失礼なこと言って!ちょっとそこ座りなさい!」
「お前、変な奴だな」
「え、いやほんとに座らないで」
「はあ?」
言われるままに向かいに座った少年をみて、案外素直な子だなと思う。成る程、自分に正直に生きると彼のように笑いながら殺す、とか言えてしまうんだ。純粋に人を殺すのが楽しい人間なのだ。なんて恐ろしいことだ。いつの間にやらマリカが警戒を解かずにわたしの横に来ていた。大丈夫だよ、目で宥めてみせても腹の中が消化不良を起こしたみたいにぐるぐるする。
「自分は真っ黒のくせに」
「お前俺のルフが見えるのか?」
八つ当たり君に言うと、再びじろりと観察されることになり、どうにも落ち着かない。
「や、違うけど。見えないけど、なんか君全体的に黒いじゃない。視覚的にもそうだけど腹ん中まで真っ黒そうだよね。ていうか、君はルフまで黒いんですか?うわあ」
「何その顔、殺してえ」
「やだ、まだ死にたくない」
「……ほんとに生きてんだな」
しみじみと言われると、どう答えていいか分からなかった。当たり前だと思っていた事が音を立てて崩れる。自分が本当に生きてるのか自信がなくなってきた。今までのことは全部夢なのだろうか。一度疑問に思うと、心の底から頷く事ができない。
「たぶん」
「は?死んでんの?」
「死んでない」
「わけわかんないやつだなあ」
「正確に言うと今、わけがわからなくなった」
こんなに漠然とした事に答えがでる筈がないとわかっていながら頭を抱えた。死んでないのに生きてもいない状態ってどういうこと?いや、自分ではずっと生きているつもりだけど。
「君はその、人のオーラが見えるの?」
「ああ、俺様は凄いからな。生き物の魂の質もオーラも魔力の量だってわかるんだぜ。お前みたいに器がからっぽなのは初めてみたけどな」
「はあ、からっぽ…。これでも一生懸命生きてきたつもりなんだけど、そういう風に言われると傷つく…」
がっくりと項垂れるわたしを面倒臭えやつだな、とあからさまに嫌そうな視線を飛ばしてくる。
「生きてんなら生きてるでいいんじゃねえの。あんま考えるとハゲるぞ」
「だ、誰のせいだと…!!確かに君は豊かな髪を持っているけど!」
女子も羨む長い艶やかな黒髪を後ろで難解複雑に結い上げている。正直羨ましい。
「まあ幸いにもお前は白髪には悩まなくてよさそうだよな、そもそも白髪だし」
「君は僕を泣かせに来たの?」
「ぴーぴー泣くような弱い奴は眼中にねえよ」
自分の頬が強張るのを感じ、深いため息を吐いた。今日はなんていう厄日だろうか。
「あのなあ、悩むだけ無駄たって。いちいち難しいこと考えてたって疲れるだけだろ?なら思いつくままに行動しちまえよ、その方が楽しいし」
「うん、君は何にも考えて無さそうだよね。善も悪も関係ないところで、君みたいに本能に忠実に生きられたら楽だろうな」
皮肉ではなくそう思う。自分が不器用だということはとっくに自覚している。極端な考えだけれど、まるで獣のように本能で生きることが出来れば息苦しいこともないのだろう。理性に勝るほどの本能があれば、わたしも胸を張って生きている、と言えるのだろうか。
「なーんか褒められてる気がしねえんだけど」
「純粋なものって綺麗に染まりやすいよね、君みたいな純粋な黒って初めて見た。悪意のない悪っていうの?勧悪懲悪とも違うね」
海が蒼いように、雲が白いように、この身に流れる血が赤いように。
不変なものは美しく、羨ましい。

「一番厄介なのはね、白にも黒にも染まれない中途半端な状態だから」


2013.04.07. up.



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