「ついに期待の新人ゲットしたんだって?」
「おん、ついにやったで!俺らの熱意が伝わったっちゅー話や!」
噂によると、随分な迷走ぶりだったと聞く。そんな猛攻を受けた件の新人を哀れに思うだった。謙也は鼻高々に笑うと、指先をに突き付けた。
「ちゅーわけで、次はの番やで。名誉ある四天宝寺中テニス部マネージャーの席はお前の為にとってあるからな、はよ覚悟決めや」
「し、しつこい!」


◇ ◇ ◇


は目の前の人をあんぐりと口を開けて見上げた。
忍足家母自慢の弁当を食べ終えて一息をついている時だった。謙也母の料理の腕は素晴らしく、弁当の中身でさえも添加物不使用の健康に気を遣ったメニューに感動した。流石、医者の奥さんである。の母親などは手抜き全開でのり弁の日なんてしょっちゅうで、真っ黒なのり一色に染まった弁当に慣れきっていたは、初めの頃、軽くカルチャーショックに陥って、今までの自分の弁当は一体何だったのだと呆然としたものだ。
「おーいさん?」
目の前で形の良い大きなてがひらひらと揺れている。
「ええと、さん?」
午後の授業はなんだっけ?そうだ、嫌いな数学だった。出された課題が全部終わっていない上に一人で解けそうにないから誰かに聞かなければいけない。出来れば答えを丸写しさせてくれるような親切な誰かが。は頭の中を数学で一杯にしなければ今の状況を乗り切れない気がした。
「あの、さん、次の授業は国語やで。数学はその次や」
「え、嘘…ていうかって私、のことを仰っているのでしょうか?」
「せやで、さんのことやで。ていうかなんで敬語やねん」
って私か…次の授業は国語?じゃあ数学の課題はやらなくても大丈夫なんだ」
「いやいや課題はやらなあかん」
「そうだよねえ」
「数学苦手なん?課題教えたろか?」
「結構です」
「さよか…やなくてさん!」
「ええとどちらのさんのことを仰っているのでしょうか」
「あかんループしたわ」
「……なあ、お前らなんでコントなんぞやってんねや」
「「え」」
教室内を見渡すとクラスメイト達が達の様子を遠巻きながらも興味深そうに見ていた。謙也が呆れた顔をして隣の席にどっかりと腰をかける。え、何なの?どういうことなの?が数学の問題集を握りしめていると、謙也がそれを取り上げて言った。
が昨晩数学の課題を放棄して新兄とゲームしとった事実はよーーくわかったからな、コイツの話もちゃんと話聞いたりや」
「謙也もやってたじゃん。むしろ私は二人に付き合わされたんだ!」
「俺はちゃんと課題終わらせてから参戦したんや…って何やねんその驚いた!みたいな顔は」
居間で兄と謙也が配管工達が繰り広げるカーチェイスゲームで白熱していた所に通りかかったのが運の尽きだった。その手のゲームが得意ではないはバトルに無理矢理引きずり込まれた揚げ句、彼らの餌食となり笑いのネタを提供する散々な夜になった。順位など言うまでもなく最下位である。お陰で課題がちっとも進まなかったのだから、これは断じて不可抗力なのだ、二人の笑いの為の尊い犠牲だったのだとは主張する。その陰で謙也が難なく課題を終わらせていた事実なんて出来れば知りたくなかった。不公平だ。
は口を尖らせながら言った。
「だって知らない人に話かけられるのって怖いじゃん」
「お前は幼稚園児か!なんやねんその態度は…ん、ちょい待ちや、今なんて?何て仰いました?もう一度言うて頂けます?」
「だって知らない人に話かけられるのって怖いじゃん」
「……白石、この子、君の事知らんのやって言うてますけどどういうことなんです?」
白石と呼ばれた少年は苦笑して頬を掻いた。いつの間にかクラス中が静まり返る事態に、このクラスの連携プレーは素晴らしいなとは思った。
「そのう白石くん?って言うんですか?こんな麗しい王子様みたいな人見たら絶対忘れられるわけないと思うし。つまり、ええと、初めまして?」
が王子様と形容した通りの完璧な笑顔を貼り付けて白石は言った。イケメンは笑顔まで爽やかである。

「俺、君のクラスメイトやねん」

「………またまたご冗談を」
、お前が言う一度見たら忘れられん麗しい白石蔵ノ介クンはな、正真正銘のクラスメイトで、更に言うならお前の斜め後ろの席の王子様やで」
は絶句して正面に立つ人を見上げると、白石はにっこり笑いながら腕組みしていた手を解き、斜め後ろの席を指さして言った。
「俺は毎日君の背中眺めてるけどな、初めまして?」
ひっ、とは悲鳴をあげそうになって後ずさると、椅子が彼女の気持ちを代弁するようにギィ、とないた。白石蔵ノ介という少年は、十人に聞けば十人がイケメンと答えるような端正な顔立ちだった。すっきり整った目鼻立ちが知性を感じさせる。とても同い年とは思えない爽やかな笑顔にの顔は引きつった。は面食いというわけではない。寧ろ従弟の侑士なども美形の部類に入るので、それなりに耐性があると思っている。しかし人並みの女の子でもあるわけだから美形を見れば見とれたり、憧れたりもするだろうとも思っている。だから白石のことをどうして気付かなかったのか不思議でしょうがなかった。自分のイケメンセンサーはどこにいってしまったのだろう。
それにしても白石の完璧な笑顔がのことを責めているような気がして恐怖を感じる。白石にとってもこんな仕打ちはきっと、生まれて初めてだろう。
「弱ったなあ、怖がらせるつもりはなかったんやけど」
美形の困った顔は眼福である。けれども原因が自分にあるとなると途端に居心地が悪くなる。しかし気がつかなくてごめんなさい、と謝るのも何か違う気がした。謙也がアホやな、と言った。
「し、白石くんご用件はなんでしょう…」
「せや、実はさんに一言謝らなあかんと思ってな」
「私の背中を毎日眺めてたこと?」
「ぶっ!!ちゃうわ!その言い方だと俺がいやらしい目で見てたみたいやろが!断じて違います!そういうつもりで言うたんやありません!」
「ごめん冗談だったんだけど」
「お前らはどーしてすぐコントを始めるんや」
呆れ顔の謙也がの頭を数学の問題集でぱこん、と叩いた。気の抜ける音の割に地味に痛くて顔をしかめると、いつの間にか普段通りの騒がしい教室に戻っていた。
「白石もはよ用件言いや!昼休み終わってしまうわ」
「…おお、あんなさん、先日うちの部員が君に迷惑かけたらしいな。それについて謝りたかってん」
「部員?」
「あー、そこからやなあ。白石はうちらテニス部の部長様やねん」
二年生でも部長になれるの?ぽかんとするに白石は頷いてみせる。予想以上にハイスペックな人物らしい。
「で、部員?って謙也?」
「俺がいつお前に迷惑かけたんや…って考えるな、真面目に悩むなや!」
「だって他の部員をしらないんだもの……あ」
「どうやら思い当たる節があるみたいやな」
「…あの二人」
思い当たる事と言えば先日の焼きそばパンの事件のことだ。あれからまだ一度も焼きそばパンをゲット出来ていないのだ。
「坊主とバンダナやろ?あいつらもテニス部員やねん。俺がのこと部室で話したら興味もったみたいでなあ」
バツの悪そうな顔の謙也。一体何の話をしたのか気になるが、聞かない方がいいのだろう。
さんに絡んだんやって?悪いことしたな。あいつらも悪気はないねん。たまにやり過ぎる事があるからよう注意しとってんけど、今回はさんを怖がらせてしもうたみたいやなあ。転入したてで馴染むのに一杯やってんのに嫌な思いしたやろ?俺からもキツく言うておいたからホンマに堪忍な。という訳でこれ」
そう言って白石が手渡してきたのは見覚えのある茶色いフォルム。は目を見開いてそれを凝視した。自分が暫く執着していたものを見間違えるはずがなかった。
「…え、なんで、というかどうして知ってるの?」
自分の焼きそばパンに対する未練を。
「とある筋から聞いてな」
それはなにか怖い話だな、とは思う。でも白石が真剣な顔をしているから、彼の顔を立てて有り難く受け取ることにした。がしっかりと大切そうに焼きそばパンを抱えているのは白石の好意に敬意を表しているからであって、顔がほころぶのも焼きそばパンのせいではないのだ。
「えへへ、ありがと」
「…お前って、ホンマ分かりやすい奴やな」
「まあまあ、この焼きそばパンに免じて、あいつらのこと許したってくれる?」
「う、うん」
が頷くと、白石は安心したわ、と華が咲いたように笑った。桜はとうに散っているのに、桜吹雪でも舞いそうな笑顔に、うわあ、とは自分の頬も桜色に染まっているのではないかと思った。どうしてだろう、桜がちょっと舞い上がったくらいでとても、居心地が悪い。そして次に続く言葉に自分の耳を疑った。
「で、ここからが本題なんやけど」
「ん?」
白石は華を咲かせたまま笑顔を、浮かべている。その花びらが水面に漂うように、の心は凪いだ。クラスも再び静まり返っていた。

「いつ部活の見学に来てくれます?」

あれ?どうしてこうなったんだっけ?は手の中のパンと白石を交互に何度も見て、最後に横の謙也に視線を向けると、謙也は明後日の方を向いていた。なんてやつ。内心舌打ちをする。
「え、ちょっとまって、つまりこの焼きそばパン…え?なあに、どういうこと?」
「焼きそばパンは君のもんやで?」
が首を傾げると、白石も首を傾げた。
数秒前まで嬉しかったはずのパンが石のように重く感じた。
「焼きそばパンはさっきの謝罪の分で、本題とはまったく関係あらへんからな」
「ごめん、やっぱり返品」
「そら困るわあ、俺さんの為に3日も粘ってようやっと手に入れたのに…」
「……」
白石えげつな!クラスの誰かの声。すると白石は一瞬で花吹雪を消し去って、困ったような顔をして言う。
「というのは冗談で、謙也から君の話を聞いてな、俺もさんがいつ来てくれるんかって楽しみにしとってん。マネージャーの話は置いといて、一度見においで。ほんで少しでもテニスに興味持ってくれたら嬉しいんやけど」
せやから前向きに考えてみてくれへんかな。
その言葉になんて返事をしたのか覚えていない。ただ、手の中の焼きそばパンが鉛のように重かった。
なんだか最近、変な人に絡まれやすいのかな、と思った。



◇ ◇ ◇



「今日さあ、坊主とバンダナの人達の上司に焼きそばパンもらった」
「上司ってなんや、ここは学校やで」
今日の財前は自宅から持ってきただろう音楽雑誌を眺めている。の知らない外国のアーティストの情報ばかりが載っていて、洋楽をあまり知らないには財前が宇宙人に見えた。
「さっきからずっと眺めているそのパンが貰ったモンなんやろ、まだ春とはいえ、ええ加減にせんと腐るで」
あんだけ楽しみにしとっんや、食べたらええやないですか。そう言われても素直に頷けないのだ。はじいっとカウンターに置いた焼きそばパンを睨み付ける。そんな異様な姿を見て、今日もカウンターに近づく生徒はまばらだった。最近、水曜日の利用者が減ってるのよねえ、と司書の先生が首を傾げていることを二人は知らない。水曜と言えばと財前が当番の日である。
「このパンをくれてね、謝ってくれたんだけど」
「そら良かったっすね」
「そうなんだけどね。くれた理由がなんかこうモヤモヤと…」
「そんなんお詫びでくれたんやろ」
「うーん、そうだと思いたいんだけど、そもそもなんで焼きそばパンのこと知ってたんだろうとか、いろいろあって深読みするととても重いんだよねこの焼きそばパン、食べたら胃もたれしそうっていうか」
「ごちゃごちゃ言うてるんなら俺が食べたりますよ」
「だめ!これは、私が食べる!」
「図書室は飲食禁止や」
財前は雑誌を閉じると立ち上がって隅っこに置いてある鞄に仕舞うと、そのまま大きなバッグを背負った。いつもはもう少しダラダラしていくのに珍しいと眺めていると
「先輩、今日はこれで失礼しますわ」
「部活はじめたの?」
「ええ、まあ」
大きなバッグは、運動部で良くみかけるスポーツバッグだった。いつも気怠そうにしている財前が部活なんて何があったのだろう。
「楽しい?」
「面倒っすわ」
後ろ姿が扉の向こうに消えていくまで瞬きもせずに見送った。


2013/05/06