「あらあ、あなたが噂の謙也クンの従姉妹のちゃんかしら?」
ある日の昼休み、購買で人気の焼きそばパンを無事に購入してご機嫌だったは変な生徒に絡まれた。坊主ヘアの何故かオネエ言葉を話す少年だった。軽くカルチャーショックである。東京の学校ではこんな個性的な生徒はいなかった。出る杭は打たれるということわざをそのまま体現したような学校で生活してきたにしてみれば眩暈がしそうな体験であった。
「あのう、どちら様?」
の記憶を信用するならば、見たことも会ったこともない生徒だった。警戒心を剥き出しに戦利品を抱えて後ずさる。これを奪われてしまったら今日の昼食がなくなってしまう。たった1個のパンをゲットする為にどれだけの苦労を費やした事か。狙われているのは自分の手にした焼きそばパンに違いなかった。
「嫌ねえ、焼きそばパンは好きやけど、カツアゲしようってわけやないから安心して頂戴な」
「はあ…」
「なんや、謙也と全然似てへんのねえ。どちらかと言うとおっとりタイプ?」
「はあ…」
「ま、似なくて正解やわ。謙也みたいな女の子おったら怖いものねえ」
「はあ…」
「よく見たら小っこくて可愛ええし、アタシ的には合格かしら」
「はあ…」
「お笑いのセンスもあるんやって?今度一緒にコンビ組んでみいへん?」
「はあ…」
生返事のの事なんかお構いなしに少年は捲し立ててくる。そう言えば小さい頃、知らない人に絡まれたらお兄ちゃんを呼ぶこと、と教わった気がする。今がその時だというのにまったく使えない兄だな、とはこっそり思った。今まであの兄が役に立ったことがあっただろうか。考えると頭が痛くなる。
「あー!小春!やーーっと見つけたで!」
うわあ、変なのがまた増えた!そろそろ焼きそばパンが食べたくてしょうがないは、バンダナを巻いた少年が目の前の坊主の少年に抱きつく姿を見てげっそりした。謙也の関係者なのは間違いないようだけれど、自分はどうしてこんな見ず知らずの人達に絡まれているのだろう。どうしてこんな絵面を見せつけられているのだろう。友人も教室で待っているし、お腹の背中がくっつきそうだし早く帰りたいとため息が出る。
「おお?!なんやこの女」
「ほらあ、噂の謙也の従姉妹の子よ!こないだ部室で話題になっとったやろ?」
「はあ?全然似てへんやんか」
バンダナの少年は胡散臭いものを見る目でをギラギラと睨み付けた。気分は蛇に睨まれた蛙だった。
「せやろ?でも似なくて良かったわあ言うてたトコやねん」
「自分随分と鈍くさそうな顔しとるなあ」
「もうユウくん女の子にそんな事言うたらあかんよ!堪忍なあちゃん」
「なんや小春浮気か!?」
「う、浮気?!」
は全力でバンダナの少年に睨まれて、じりじりと後退していた。目つきの悪さで言ったら財前も恐ろしいが、あの後輩はこんな風に傲岸な態度で睨んできたりはしない。どうして誰も助けてくれないのだろう。周りの生徒達は笑って通り過ぎていく。笑えないのは一人だけのようだった。あ、あはは…自分の乾いた笑いが廊下に響いた。
「やからユウくん睨んだらあかんって。彼女怯えとるやないの!」
「せやかてこないな奴がホンマに謙也の従姉妹やなんて信じられへんわ」
「そお?アタシはちゃんは可愛らしいからウエルカムやでえ!」
「はあ?!オマエ何小春に色目使っとんねん!いてまうぞコラ!」
「ひっ!」
なんだなんだこの二人は一体どういう関係なんだ!ホモか!バンダナに凄まれては反射的に逃げ出した。怖い、良く分からないがこの二人は怖い!本能で逃げた。

「オイこら話はまだ終わってへんぞ……あ、コケた。なんやあいつマジでどんくさいわ」
「あらあら、大事な焼きそばパンがぺったんこやねえ」

必死の形相で教室に戻ると、友人達にぎょっとした顔で迎えられた。
「あんたどこ行ってきたん?購買やんな?森でクマに遭遇したみたいな顔しとるで、やられたんか、クマにやられたんか?」
潰れた焼きそばパンを握りしめて、の肩はわなわなと震えていた。友人達はそれを哀れみの目で見ている。購買から教室までのほんの数分の道のりで潰れたパンの末路を哀れに思ったのかもしれない。
「ああ駄目やこの子、脳みそどっかに置いてきてるわ、しばらくほっとこ」
放って置かれること数分、はっと我に返ったは立ち上がって空を仰いだ。

「ていうか、誰!」


◇ ◇ ◇


「ということがあってね、酷いよね。三度目の正直でようやく買えた焼きそばパンだったのに。三日だよ?三日も粘ったんだよ?!」
「論点はそこやないと思いますけど」
「気がついたら私の手の中でぺしゃんこになっていた」
「つまりトドメを刺したのは先輩自身やんな。そもそも勝手にコケたんも自分やろ」
アホらし。
放課後、無口な柄の悪い後輩にいつのまにか懐いていたは、昼間あった出来事を相談していた。相談というよりもほぼ愚痴だった。財前はいつものように気怠げに椅子に腰かけているが、意外と律儀にの愚痴に付き合っている。
ただでさえ財前の存在が近寄りがたいというのに、もう一人の図書委員から醸す不穏な空気を察して、滅多な事がない限りカウンターに近寄ってくる生徒はいなかったのでは雄弁だった。
「ていうか、坊主でオネエでヤクザでホ、ホモってどういうことなんだろう。ずっと気になって授業に集中出来なかったよ」
「先輩が授業に集中出来なかったのは腹が減っとったせいやろ」
「い、否めない!」
結局昼食抜きで迎えた午後の授業は散々だった。苦手な数学、科学、英語の連係プレーが追い打ちをかけて、最後の方は意識が朦朧としていた。見かねた友人がお菓子を恵んでくれなければどうなっていたかわからない。人間の三大欲求とはかくも人を苦しめるのだと身をもって知ったのである。
「これってイジメかな?お兄ちゃんに相談した方がいいかな?」
「なんでそこで兄貴が出てくるんや、ブラコンかアホ」
「私さあ、別に箱入り娘ってわけじゃないけど、父さんにも怒鳴られたことないんだよね。今まで男子に絡まれることとか殆どなかったし、あんな風に男の人に睨まれて因縁つけられたのも初めてでさ、結構びびってるんだ」
明日から廊下を一人で歩くの嫌だなあ。
はだらりとカウンターの上に突っ伏した。幸いにもそれを咎める教師の姿はここにはいなかった。ただ、顔を伏せていた為に、あの人達は別に先輩が思ってるような奴らやないと思いますけど、と財前が小さく呟いた声がに届くことはなかった。代わりに小さなため息がひとつ。
「まあここは大阪やから、関東とはノリも風習も違うとこあるし、その人達もそういうデリケートな部分わかっとらんのや。最初は慣れないこともようさんあると思いますけど、あんま気にしとったらこの学校じゃあやってけないと思いますよ。つーか先輩って意外に真面目やったんすね。冗談を一々真に受けとったら身が持ちませんて。そもそも存在自体が冗談みたいな奴ばっかや」
あれ、財前君がさりげなく酷いことを言っている。は聞かなかったことにした。
「私が転入生だって知ってたんだね」
「委員長がそないなこと言うてました。せやからあんまイジメるなよ、ってなあ。そもそも先輩言葉も訛ってへんし。二年生にしてはこの学校にあんま馴染めてないやろ」
「ほー、こんな短期間で観察されてたんだ」
図書委員長は良い人選をしたと思う。財前は見た目こそ怖いが、中身は案外面倒見が良いし、博識で客観的に物事を考えられる冷静さも持ち合わせている。人は見た目で判断してはいけないなあと考えさせられるだった。
「財前君が大人に見える。年下なのに」
「あの人達がアホなだけや」
え?は驚いて財前を見上げると、相変わらず澄まし顔で読書をしている。読書をする様相を呈している。
「財前君はあの人達を知ってるの?」
「なんの縁か知りませんけど、俺もちょっと前から変なホモに追いかけられてます。あと他にも変な奴らが数人ちょろちょろしてるわ。ほんま堪忍して欲しいっすわ。…という訳ですんで別に先輩だけやないんで気にするだけ時間の無駄や」
「ああ、身近な所に仲間が…苦労してるんだね。これあげる」
落ち込んでいた相手に逆に慰められる状況に納得のいかない財前は少しむっとして、無理矢理手に乗せられた丸い物体に視線を向けた。
「なんすかコレ」
「飴ちゃん。友達からの貰い物なんだけどね。最後の一個を薄幸の美少年におすそわけしようと思って。これ食べて元気だしなよ。相談にも乗ってくれてありがとう。なんか気分が軽くなったみたい」
「…人を勝手に不幸呼ばわりせんといて下さい。幸が薄いとか余計なお世話っすわ、そんなこと一言も言うてへんし、落ち込んどるんは先輩の方やろ」
「美少年は否定しないんだ」
「つーかこれって先輩がハッカ味嫌いなだけっすよね」
ぎくりとの肩が強張るのを見届けてから
「まあ、どうも」
お礼を言って、制服のポケットにしまった。




2013/05/05