たとえばの話をしよう

 

子供の頃からどこか変わっていると言われた。

変だ変だと言われる度に心地良い気分になるわたしのことを、本当に理解した人は果たしていただろうか。だって、自分自身でさえ何一つ理解出来ていないのだから。
この世界における「」という人間の位置付けは、とてもささやかなもの。地図の端っこにかろうじて引っかかっているような小さな貧しい村の小さな家に生まれ、海の見える小さな丘の上で育った。世界から隔離されたような小さな世界で、父と母と三人で、裕福ではないけれど、それなりに満ち足りた幼少期を過ごした「」という少女は、ちょっと変わったところを除けばどこにでもいる女の子。丘の上から眺める地平線の彼方に思いを馳せることもあったし、星空を眺めながら歌を歌ったりもする。同じ年頃の子供達と連むのが苦手だったわたしはいつだって、何をするのも丘の上だった。
仲睦まじい3人家族が慎ましやかに生活を送る丘、村を見下ろすように佇む丘には、小さな少女の数年ばかりの人生の全てが詰まっている。名前のない丘と小さなわたしは、家族同様に寄り添うように共にあった。
小さなの生活の中心は、父と母と小さな家、優しい丘が一つ。それから幼なじみが一人。満ち足りていると感じたことはある。逆に何かが足りないと感じた時、足りないものの正体を見つけるには「」は幼すぎた。
思い返せば、わたし以上に変わり者の幼なじみを見送ったのもこの丘の上だった。人見知り、というよりは他人とどう接したら良いのかがわからなかった幼少時代。そんなわたしのことを見捨てることなく、気が付けば隣にいた、たった一人だけの幼なじみは、わたし以上の変わり者。毎日ぼんやりと海を眺める、子供らしいとは言い難い少女を見下すでもなく、退屈そうな素振りすらなく、気長に突き合ってくれる変わり者。訝しがるわたしに反して、いつも真っ直ぐな視線を向けてくる幼なじみのことが苦手だったのはここだけの話。いつもわたしを見ているようで、もっと遠くの世界を見据えていたこと。真っ直ぐな眼差しからは、こんな小さな村では収まりきらないのだろう強い意志と、普通でない天質が透けて見えた。今にも沢山の未来が溢れ出てきそうな姿を見るだけで堪らずに逃げ出したくなったものだ。一方のわたしの目が、毎日代わり映えのしない海を映すだけの取るに足らないものだと思い知らされるからだ。
平凡なわたしが見る全ては、それと同等でなければならない、と思いこんでいて、それ以上のものは目が眩んで呼吸もできなくなるのだと信じ込んでいたのだ。
幼なじみが村を出て行くことは、太陽が地平線の向こうに沈んでいくことよりも必然の理だった。幼なじみが村に骨を埋めるなんていうことは、世界が滅びるよりも有り得ない。
旅立ちの前夜に「一緒に行こう」と誘われたこと。この世の終わりみたいな顔をして逃げ出して、結局この丘の上から見送った。
とても怖かった。だってわたしが幼なじみの物語の一部に入り込むだなんて有り得るわけがない。



実は、わたしの変わり者だと言われる最たる所以として、前世の記憶がある。
いつからか、気が付いた時には既に「」以外の記憶や知識が頭の中にあった。
生まれてから少しして、自我が芽生えるようになって、徐々に自分が見ているもの以上の知識と世界を知っていることに気が付いた。両親から甲斐甲斐しく世話を焼かれるだけの右も左も分からない幼子が、その裏で、潜在する知識と現状との間で目を回しているなんてことが全く普通ではないと知るには数年の月日を費やした。何故自分には知らない筈の知識があるのか、それは自分の身にだけに起こったことなのか、或いは他の人々も自分と同じような経験を経ているのか、自分の足で歩けるようになった頃にはとっくに両親の言葉を理解していたが、それが普通ではないと知ったのは、自分と同年代の歳頃の子供と出会った時だった。わたし達家族は村から少し離れた丘の上でひっそりと暮らしていたので、外に出る機会はあまりなく、そのことに気が付く為に数年も要した。
更に問題なのが、その記憶というのが全く別の世界だということ。そこには魔法も迷宮もジンも存在しない。その代わりに文明の利器が発達し、科学でまわる世界。どちらが暮らしやすいかなんて明白で、飛躍的に生活水準が向上した生活では、生きるために命を賭ける必要なんてなかった。夜はスイッチ一つで明かりが灯るし、井戸の水を汲みにいかなくても蛇口を捻るだけで水が飲める。汗の一つも掻かずに、一生掛かっても行けないような地を訪れることだって、情報だって、何だって簡単に手に入る。秩序整然とした世界で、あまりにも平和が過ぎるそこで、苦労とは無縁の生活を送っていた。毎日の生活に困ることもない、死を身近に感じることもなく、獣に怯えることも、飢えに苦しむこともない。戦争なんて遠い昔の話で片づけられる。特別裕福だったわけではなく、それが当たり前であり、標準値だった。ある程度の生活と人権が保証された世界。という少女にとって笑ってしまうくらい現実味のない、おとぎ話のような記憶が存在していた。
未知の記憶はちっぽけな少女の人生に潤いを与え得ると思ったのは最初だけで、二つの世界の知識をもつことは平凡な子供にすぎないわたしの許容範囲を超え、頭がおかしくなりそうだった。夢で片づけるにはあまりにも現実的な知識を持つ人間は恐らくこの世界には自分だけで、誰からの理解も得られる筈がなかった。相対する世界に挟まれて途方に暮れると丘に登る。嬉しい時も悲しい時もその景色と共にあった。其処だけはどの世界からも隔離された唯一の自分の居場所のような気がしていた。
時々どちらの記憶が現実であるのかがわからなくなって混乱してしまった時、という存在を確かめる為にも、変わり者のわたしを責め立てない静かな居場所が必要だったのだ。

更に厄介なことに、その記憶の中で、この世界はおとぎ話なのである。
子供の頃に絵本で読み親しんだ世界に自分が紛れ込んでいるだなんてどうして想像ができるだろうか。
疑問を感じて直ぐに、幼なじみがおとぎ話の登場人物であるということに気が付いた。ただの偶然に違いないと一蹴した聞き覚えのある名前の先に、記憶の向こうの自分が思い描いた登場人物の姿をおぼろげに感じた瞬間、世界に捕らわれたのだ。それは幼なじみがわたしを妹のように構いだしたのと同時期だったように思う。信じられない、と困惑するわたしを余所に、幼なじみはこちらの生活の細かいところにまでぐいぐいと入り込んだ。すっかり溶け込んでしまうと、夢はあっという間に現実にすり替わる。
物語とはよく言ったもので、実に都合のいいお話だ。おとぎ話の中の人物が、自分の生活範囲に当然のように居座っているのだから。これから幼なじみが辿る波瀾万丈で数奇な物語を見守るだけの器量も能力もないわたしは、自分の保身にばかり走って、いつ来ると知れぬ未来に巻き込まれることが恐怖でしかなかった。
この世界において「」の立ち位置は一体どこなのだろう。毎日、ぐるぐると考えて未だ答えを出せないうちに幼なじみは旅立っていった。

そして、幼なじみの運命が動き出してから数年後に、漸くわたしの運命も、物語とは違い、予期せぬ現実を伴って動きはじめた。
変わり者のわたしを拒むことなく愛情を持って育ててくれた両親との死別である。信じられないことに、この世界で死は当たり前の、ありふれた日常の一つでしかない。実にあっけない終焉はいつも隣に潜んでいたのだ。それでも身近な人達との永遠の別れは思春期のわたしの心に大きな錘を落とした。
程なくして、小さなわたしの小さな村に別れを告げた。

村を出るとき、最後に丘の上を振り返ったら、いつも定位置にあるはずの姿はどこにも見当たらなかった。だってあれは「」でわたしだから。

あの丘は、始まりでもあり終わりの地でもある。
終わりの地に向けて、わたしは一番大切なものを残していった。
暴かれることのないように、地中の深くに残す。やがて、土に還り、世界の一部として溶けてしまうことを願い、歴史にも残ることもなく、誰の目にも触れることなく、密やかに。

宝箱は開かれなくては宝とは呼べず、わたしの夢は同じように、誰かに暴かれたいという思いすらも一緒に押し込んで、地中に埋められる。

あの丘を発ったのは、もうずっと昔のこと。
あれから一度も帰らない。

たとえばの話、わたしがとても速い走者で、あっという間に世界を周回して、永遠に歩いても疲れないのだと実感した時、また此処に戻って来て不変の地平線を眺めることができる日が来るのだとしたら、わたしの今が夢であるのだと実感するのかもしれない。
夢から覚めた後、果たしてどちら側に立っているのかを知るに違いない。

次に再びあの地に戻る時、それはわたしが何者であるかという答えを手にした時だ。



2013.01.20. up.
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