「プラネタリウム?」
「そ。前から行きたいて言うてたやろ?今度の休みに一緒に行かへん?」
白石はひらひらとチケットを2枚、私の目の前でちらつかせて見せ、知り合いからタダ券をもらいました、と得意気に言った。小さい紙切れにはロマンチックな夜空の写真がプリントされていて、この辺りでは有名なプラネタリウムの名前が載っている。タダ券などと言うわりにはチケットにはしっかりと定価の入場料が刻印されているが、白石は笑みを崩さないので見なかったことにする。
「私の記憶が正しければ、一度も行きたいなんて言ったことがないんだけど」
一度だけ、雑誌の特集で見かけて、友人が熱心に魅入っていたので『楽しそうだね』と付き合いで口にしたことがあるが、それは友人に向けてであって、白石はいなかった。
「まあまあ、そこは調子合わせて「ありがとう蔵ノ介、とっても嬉しいわ!」くらい言うて欲しいわ」
「ねえ、その裏声、誰の真似?私の真似だとしたら二度とやらないでください」
「似てた?」
「あり得ないくらい似てない」
おかしいなあ、練習したのに、と首を傾げる白石から少しだけ距離を置いて座った。すかさず手渡されたカップから白い湯気と共にコーヒーの香ばしい匂い。砂糖は2個、もう入れておいた、と気の利いたことを言うこの人が、一体どんな顔をして練習したのだろう、と思うとなかなかに残念な気持ちになる。
しかし、どうして突然プラネタリウムなどと言い出したのか、白石は時々突拍子もない事を言い出して私を困惑させるが、その内の半分が本人にしてみれば大真面目なことで、しょうがないなあ、と私が折れれば嬉しそうな顔をしておおきに、と言うのでどうしようもない。
周囲からは容姿端麗、おまけに頭脳明晰で非の打ち所がない人だよね!と絶大な羨望を寄せられる彼であるが、どれだけ人より優れているところが目に付いたとしても白石とて人の子である。私は彼の残念なポイントを見つけ出すことにおいては他者の追随を許さない自信がある。けれども、いくら粗探しをしたところで白石は大変美しい人なので、イケメン補正とでもいうのだろうか、凡人であれば距離を置きたくなるような言動を取ったとしても、ちょっと呆れてしまうような発言をしたとしても、あらあら、しょうがないわね、といとも簡単に、微笑ましい空気さえ生みだして片づいてしまうことが良くある。そもそもにおいて気付かれない場合のほうが割合的に多いので補正とは本当に恐ろしいものだ。そんな逆境にも負けず、ちょっと!今のは絶対になしでしょう!と冷静に心の中でツッコミを入れることが出来る私は大変貴重な存在であると自負している。しかし私とて人の子だ。そんな白石を見ていたとしても、何度でもしょうがないな、と思ってしまうのは致し方ない事だと思う。自分が面食いであるという自覚が大いにあるだけに。というか、惚れた弱みというやつです。
「で、行くやろ?」
「しょうがないなあ」
ほら、安心したように顔を綻ばせる。つられて私の頬も緩むと、白石は眩しそうに目を細めた。なんだか途端に恥ずかしくなって、手に持っていたカップの中のコーヒーを落ち着かなく掻き混ぜた。砂糖なんてとっくに溶けているのに。
「ほいじゃあ何時待ち合わせにしよか。別に夜を待たんでもプラネタリウムなら昼間っから星が見れるんやで、便利やろ」
「うん、そうだね、便利だね…」
「お昼くらいに待ち合わせしてランチ食べてからショッピングして、19時の回でもいい?」
「でも結局夜に観るんだ…」
「19時のは特別プログラムでヒーリングプラネタリウム言うて、アロマが焚かれたりするらしいで。はそういうの好きやろ?こないだ一緒に買ったディフューザーちゃんと使うてる?」
「使ってるよ、あれ安眠できるよ…」
ランチはこないだ行きたいて言うてたブリュレが美味しいフレンチにしよ、幸いにもプラネタリウムからそう離れてへんし、確かあの店の向かいの角にの好きそな雑貨屋が最近新しく出来たからそこも覗いてみようか、ウィンドウに可愛いウサギのぬいぐるみが愛想振りまいてたで。目玉がおっきくて耳の長い白ウサギ、店の店員さんのハンドメイドやって言うててな、こないだ欲しがってたぬいぐるみに目がそっくりやってん絶対気に入ると思うわ。へ、へえそうなんだ、私が頷くまでもなく、休日のプランは白石の中で固まっているらしく、やけに具体的で周到な計画に彼の本気を見て、じゃあ11時に最寄りの駅前で、と言うと、いや、家まで迎えにいくから待っとってと笑顔で訂正が入った。

どうしよう、白石が本気のようです。



◇ ◇ ◇



何度も何度も鳴る呼び鈴の音に目が覚めて、ベッドの脇の時計を確認した瞬間に布団に突っ伏した。呼び鈴と一緒に携帯が震えている。恐る恐る開くと着信履歴が凄いことになっていた。やばい、寝過ごした。目覚ましだってセットしているはずがない。失敗した原因は、付けっぱなしのテレビ。呆然と見つめる先には録り溜めしておいたドラマが延々と流れている。記憶よりもかなりストーリーが進んでしまっていて、知らぬ間に主人公が満身創痍になりながら、いかにもライバル風の男に掴みかかるところだった。しっとりラブストーリーだと思っていたのにまさかの急展開、血湧き肉躍る熱血ドラマに様変わりしていた。線の細い主人公が魅力で見始めたのにあんまりだ。テコ入れにしても酷すぎる。見るからに柄の悪い男達に囲まれて傷だらけの主人公がおきまりの無人倉庫の床に投げ出されるところまで確認をして、溜息を吐きながらリモコンでテレビの電源をオフにして、急いで玄関に走った。
「おそようさん、やっぱり迎えに来て正解やったろ?」
今、何時でしょう。寝起きで眩しい笑顔を見せつけられれば、11時半です、おそようございます、と項垂れるしかなかった。
「にしてもどうやったらそんな寝癖がつくんやろうな」
わっと頭を抱えると顔を覗き込まれた。さらさらの髪をなびかせながら長い睫が陽に透ける。眩しくて目が潰れそうだ。こちらは寝起きで顔も洗っていない状況だというのに近い!顔が近い!

「夜更かししたやろ?目の下に隈出来てるで」

ひっ!悲鳴を上げて顔を覆うと髪の毛が四方八方にぴょこぴょこ跳ねた。何度撫でつけても重力に逆らって奔放に跳ねる。芸術的である。私はあまり寝相の悪い方ではないと思っているけれど、それを白石に主張してもいつも残念そうな顔をして「の蹴りは恐ろしい」と言う。思い当たる節がまったくないので白石の悪夢の中の出来事なのだと思う。寝付きが悪いなら今度アロマディフューザーを貸してあげても良い。
「どういう心境やと思う?」
「死にたい」
さんの気持ちではなくて、デートの前日に夜更かしして寝坊する不誠実な彼女を持つ彼氏の心境を聞いています」
「直ぐに仕度をします!」
「ランチの予約は13時やから急がんでええで」
器用に屈んで靴を脱ぎながら白石は言った。踵を返しかけた私はそんな白石の旋毛あたりをじっと眺め、はてさて待ち合わせは11時だったし、予約は12時丁度だと思っていたと疑問に思うと
「最近気になってるドラマを見る暇がないって嘆いとったから今週末は夜更かししてでも見るんやろうなって思って一時間遅めにしておいた。どうや?大正解やんな?」
ああそうだ、もう一つの切欠を思い出した。主人公の色男が時々見せる微笑みがどこかの誰かさんに似ていたのが気になって見始めて、気が付くとどっぷりはまっていたのだった。微笑みというよりもしたり顔。そう考えるとあの主人公が必要以上に好戦的だったのはあの展開への伏線だったというのか。そんな馬鹿な。
「とは言え、そこそこ張り切って仕度してもらわな、その格好のまま連れ出すからな」
「そんな馬鹿な」
「はよシャワー浴びておいで、タオル出しといたるから」
バスルームに駆け込むと、扉越しに白石の落ち着いた声が届けられた。
「そういやのお気に入りのドラマの主人公役の俳優さん、俺に似てると思わへん?そう、例えば笑顔とか」

どうしよう、白石はなんでもお見通しのようです。



◇ ◇ ◇



ランチは想像以上に大満足だった。街の中心街から少し離れたところにある知る人ぞ知る隠れ名店、こじんまりとしているが、シェフ兼店長さんは本場フランスで十年以上も修行を積んでいたということもあり本格派のフレンチだった。白石が窓側を予約してくれていたので、小さくともストレスを感じることなく、時々人の流れを観察しながらのんびりと食事を楽しんだ。空は晴天、ところどころに散らばった雲は太陽を邪魔しない。プラネタリウムで星座の勉強をして、それから本物の夜空で天体観測が出来そうやな、と白石は星座の本を鞄から出して見せた。学校の参考書と毒草に関する本以外にも持っているんだね、と感心していると、昨日学校の帰りに買ったのだと言う。その割には既に使い込まれた感がひしひしと、繊細で痛みやすい私の心に多大なストレスを与える。重なるほど沢山の付箋達の圧力は、そのまま白石の本気度のパラメーターの様だった。
「…私にも星座を見つけられるかな」
「プラネタリウムでちゃあんと勉強して頑張ろうな」
「……」
一体、白石はプラネタリウムになにを求めているのだろう。最早『癒し』などという心地よい響きとは決別した風に見える星座図鑑と白石を交互に見ていると、毎日眠気と戦う講義の安らか時間が蘇ってくるようだ。そうか、プラネタリウムはアロマを焚きながら心地よく勉強するところなんだ。
「ん?眠たそうやな。この後に買い物挟んでおいて正解やったわ。今から星観にいったら安眠してしまいそな顔してるし」
「そこまで計算してくれてたんだね、ありがとう…」
「いびきかかれたら困るし」
「失礼な。いびきなんてかいたことなんてないよ!」
「え?」
「え?」
白石は何も言わずににっこり微笑んだ。それは数時間前に見たドラマの主人公の笑顔にそっくりだったが、身内贔屓もあるのだろうけれど、旬のイケメン俳優よりも白石の方がよほど素敵に見える。私の中の白石の好きなところリストの上位に『笑顔』が居座り続けているだけあって、誰が見ても好ましい笑顔なのだ。ただし含みのない時に限る。時々こうやって笑顔で無理矢理話を流そうとする癖は頂けない。いつも流されてばかりの私だと思わないで頂きたい、今日という日こそがつんと、
「ほら、こないだ話した雑貨屋が見えてきたで。ディスプレイされとるうさぎはの好みどストライクやろ?前に欲しいて言うてたアンティークな鳩時計も売ってたから覗いてこ」
「白石、早くいこう!」

白石は私の好みも完璧に把握します。



◇ ◇ ◇



「地球も他の星から見たら同じように光って見えるんだよね」
私は空に向かって両手を伸ばした。隣では頭一個分背の高い白石が一緒になって空を見上げ、ゆっくりと頷く気配がした。
「私が吸収した分の光は反射して宇宙に帰っていかないって考えると、自分がとても偉大な存在に思えてきた」
「その発想はなかったわ」
笑いながら、あの大きく光ってる星が冬の大三角形、オリオン座とこいぬ座とおおいぬ座と繋がってるらしいで、と夜空を指さした。
私達の頭上に浮かぶのはついさっき見たプラネタリウムよりもずっと広い、数多の光の粒。白石が示す先にも沢山の星が輝いているので、どれがその三角形であるのか検討もつかず、目を凝らしながら、ああ、本当だ、と少し上擦った声で答えた。
ああ、本当に、驚くほど見つけられない。
「プラネタリウム楽しかったやろ」
「うん。有名な星や星座を線やポイントで解説してくれたからとてもわかりやすくて素人でも充分楽しめたよ」
「喜んでくれて良かった」
白石は夜空から視線を外し、私の顔を覗き込んで優しい顔をした。私が一番好きな顔。
アロマもの好きそうな香りやったな、目の下の隈もだいぶマシになったんとちゃうの。私はその一つ一つにうん、うん、と頷きながら、どうして白石がプラネタリウムに誘ってくれたのか、ようやく理解できた気がする。
この頃大学の講義とバイトが忙しくて、楽しみにしていたドラマがたまってしまうほど余裕のない生活を送っていた。頑張るのもええけども、息抜きもせな体壊すで、と友人に忠告されたのが数日前。空に星が浮かんでいることなんて気が付きもせずに目先のことばかりに走り回っていた。
そういえば、白石と出かけるのも久しぶりだというのに、彼は自分のことは全て後回しで今日一日、私に都合が良いように、僅かでも躓かないように、最初から全ての事を先回りをして、歩きやすいように整えてくれていた。
今、私の鞄の中にはウサギのぬいぐるみが入っている。最後の一個だというそれを、実は前もって予約しておいてくれていたことをこっそり店員さんに教えて貰った。素敵な彼氏さんですね、ウィンドウ越しにじっと見つめていらして、人気の商品だと聞くと慌てて予約されていかれたんです。彼女が喜ぶ顔がみたいから取りに来るまでここに飾っておいて欲しいって仰って。
そっと袖の端っこを引っ張ると、白石は首を傾げた。
「あのアロマ、同じ香りのものがあるか探してみようかな」
「ハイビスカスとか数種類の花の香りがブレンドされてたって言ってたな。今度一緒に探してみようか」
「うん」
次は私が完璧なスケジュールを組みます、と言って目を閉じた。
星が沢山浮かんでいる方にほんの少し、顎を上げて、流れ星が落ちてくるところを想像するのだ。温かくて、柔らかく降ってくる。それは私を優しく抱きしめる。
オリオン座のオリオンはたいそうな美青年で、美しい女神であるアルテミスと恋に落ちたという。私はアルテミスになった気分で、目を閉じ、オリオン座の居場所を探してみる。すると、プラネタリウムの中ではないのにすんなりと見つけられた。オリオンもきっと、私のことを探していたのだろうから。
「白石」
「ん」
「今、貴方が私を抱きしめてくれているお陰で、せっかく星を見に来たのに視界いっぱいに広がるのが逞しい胸板一辺倒なんですけど」
「と言いながら俺の背に腕を回しているのはどこのでしょう」
「ここのだった」
せやな、と私の頭に顎を乗せた白石は、星なら明日も見れるしな、と元も子もないことを言う。しっかりと白石の胸に顔をうずめて呼吸をすると、アロマの残り香が匂う気がする。今晩は連日の忙しさで埃を被ってしまっていたディフューザーの電源を入れて眠りにつこうと思う。家に帰ってから、ぬいぐるみと一緒にローズマリーの精油が入っていることに気が付くまであと少し。
「何事にも真剣に取り組むのはの良い所やけど、たまに周りが見えなくなるのは気を付けていかなあかん。少しでも疲れたな、って感じたらどこでも、またプラネタリウムでもええし、一度立ち止まって、俺が隣にいることを思いだしてな」
もうずっと、直ぐ横に並んでいることだし。
世界のてっぺんにいるような気持ち。その時の白石は私のすべてについて、沢山のことを知っているように見える。多分、きっと、そう、間違いなく。
私が自分の事にしか興味がなくなってしまった子供みたいになっていたことだって、私よりも気付いていたのだろう。
さて、白石蔵ノ介会心のリラクゼーションフルコースはいかがでしたでしょうか。満足頂けたようなら、ご褒美が欲しいな。
オリオン座の輝きも霞む眩しい笑顔を夜空に浮かべた。


白石は、とても優しい人です。



わがままプラネット
2014.01.26


次回までに冬の大三角形くらいはわかるように勉強しよか
……え、うそだ
取りあえずこの図鑑を貸したります
うわあうれしいなありがとう、本当に、この図鑑、おもいんですけど